世の中には2種類の人間がいる (2)

| 2019.5.6


*この前編「世の中には2種類の人間がいる(1)」はこちらからご覧いただけます

 

講演の際にたまに紹介しているのだが、私が20歳の頃、自らのマインドセットを変えたある出来事があった。

それは中国とタイとミャンマーとベトナムに囲まれた東南アジアのラオスの田舎を訪れたときのこと。まだスマホもデジカメもLCCもなかった当時、リュック1つを背負ってロンプラ(英語の「ロンリープラネット」の略。ガイドブックであり日本の「地球の歩き方」のようなもの)を片手に旅をしていた。

そんなバックパッカーだった私は、シンガポールからマレー鉄道でマレーシアを抜け、バスを数回乗り継いでタイの最北部からラオスに陸路で入国した。タイとラオスの国境で借りたバイクで転倒して怪我をしてしまった私は、痛みを堪えながらメコン川をスローボートで下って、ルアンパバンという古都に向かうことにした。

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狭いボートに乗り込み、スローボートの名よろしくノロノロと進む船の中では、現地の人々がぎゅうぎゅうに乗っていて、その熱気と足の痛みに数時間耐えるのは今思い返しても相当しんどかったが、船は悠久のメコンに身を任せ、ようやくルアンパバンに到着したときは既に夕暮れだった。

このルアンパバンには山岳民族が多く住んでおり、街の一角にはモンマーケットなるモン族の織物や手工芸品を売る市場(といっても地面にゴザを敷き、その上に商品を並べただけの非常に簡素な露店)があった。足を引き摺りながらちょうどモンマーケットを過ぎようとしていたとき、

「お兄さん、こんにちは」

という流暢な日本語が聞こえた。

声がする方に目をやると、幼いモン族の少女が座っていた。まさかこんな山奥で山岳民族の少女が日本語を話せるなんて、私は足を引き摺りながらゆっくり彼女のところまで歩いていった。

「ねぇ、日本語話せるの?」

「うん、少しだけ」

「学校で習ったの?」

「ううん、違う。学校で習ってない」

「え?じゃあどうやって日本語勉強したの?」

「学校はないよ。だから学校には行ってない。日本語の勉強は・・・」

そう話しつつ、彼女はポケットから紙きれを徐に取り出した。そこには「こんにちは」「ありがとう」「いくら」「いち、に、さん、し」と日本語を練習している跡があった。

彼女は貧しい国に生まれた。しかも少数民族かつ山岳民族だ。外国語を教えてくれる学校どころか、普通の学校にさえ通っていない。そんな環境にもかかわらず、彼女は日本語を自分で勉強していた。

そのことに驚いていると、さらに度肝を抜かれる光景に出くわした。私が彼女に話している最中に、後ろからヨーロッパ系の外国人が歩いてきた。

「Hello!」

モン族の彼女は外国人旅行者に声を掛けた。

しかし、旅行者はこちらを見ない。すると

「Bonjour!」

今度はフランス語で話しかけた。

昔ラオスはフランスの植民地だったからフランス語もできるのか?一瞬そう思ったが、学校にさえ通っていない彼女が外国語教育を受けているはずがない。

聞いてみると案の定、英語もフランス語も、そして日本語も、すべて旅行者と会話する中で教えてもらって、あとは自分で復習しつつ学んでいたのだった。

モン族の少女すべてが彼女のように複数の外国語を話せたかといえば、そうではない。むしろ彼女は例外だった。私はそこにいたモン族の他の少女たちに片っ端から会話を試みた。しかし誰一人として、彼女のように流暢に外国語を話すことはできなかった。

与えられた環境は同じであるにもかかわらず、彼女は他の少女と明らかに違っていた。目が輝いていた。言葉も操れる。

だからといって、彼女は先天的にイノベーティブな考え方が出来たわけではないはずだ。学校や家庭でそういう教育を受けたわけでもない。ただ「いろんな人と話せたら楽しいだろうな」という想いの強さが、一見すると劣悪な環境のなかにも「外国人旅行者が来るのだから、彼らから学べばいい!」と光を見出したのだった。

世の中には2種類の人間がいる。「自分の周りには途方もないほどチャンスが転がってる」と思う人と、「チャンスがない、チャンスを与えてもらえない」と嘆いて毎日をやり過ごす人。

同じ家に生まれても、兄弟によって考え方が違うかもしれない。

同じ学校にいても、人によって違うだろう。

同じ会社でも、2種類の人間がいる。

後者の人にとってはその辺に転がっている「石ころ」が、前者に人にとっては「ダイヤの原石」に見えるのだ。

ここで気を付けなければいけないのは、チャンスが沢山転がっていると思うタイプの人にとって、彼らはあくまでダイヤの「原石」に見えているのであって、彼らとてはじめから「ダイヤ」が転がっているように見えているわけではない。

どんなダイヤモンドもその輝きを最大限引き出すには磨かないといけない。はじめからピカピカ光ってるダイヤモンドが転がっているはずがない。万一、ダイヤが転がっていたらどうだろう。初めに見つけた人がすぐに拾ってしまうはずだ。人生そんなに甘くない。

 

続き「世の中には2種類の人間がいる(3)」はこちら