Dari K(ダリケー)

Dari K to the World
ブログ

「リスク」のとらえ方~社会起業家の本質を考える~

先週の「ガイアの夜明け」の放送を見て、多くの方にお店にお越しいただいたり、お取り寄せをしていただいており、本当にありがとうございます。

実質25分間の映像を作るのに、約半年に及ぶ取材・撮影(うち2週間以上インドネシアで密着)して下さったディレクターやカメラマンさんをはじめ、プロデューサーや編集に携わる人など実に多くの方がとても分かりやすくまとめて下さったことに感謝しています。また、番組を見て下さった方から本当に温かいメッセージを数えきれないくらい頂戴し、社員一同心から感動しています。

このブログでも以前書きましたが、私は「伝える」ということを非常に重要だことだ思っています。100のことをしていても、伝え方が不十分ならば20や30しか伝わらない。それではもったないし、正当な評価を得ることができない。やっぱり100やったら100を伝えたいし、100伝えてこそはじめて理解してもらえることもたくさんあると思うからです。

そういう意味では、今回のTVの特集で、インドネシアにてカカオ農家を回っている様子や、買取の様子、発酵の重要性を伝えるシーンなど、なかなか店頭ではお客様一人一人に言葉では伝えにくいことを映像というビジュアルで多くの方にご覧いただけたことは、Dari Kの取り組みをお伝えするという点で非常に良かったと思っています。

さて今回の放送は、Dari Kともう1社ソーシャルビジネスを展開するベンチャー企業が取り上げられました。「良い給与に、安定した生活よりも社会の役に立つやりがい」を求める人が増えているというテーマだったのですが、一部の人はこれに対して過剰な反応をしたようでネットでも話題になったと伺いました。

たまたま私が外資系金融出身で、もう1社の創業者は大手商社出身ということで、視聴者の中には「どうせ前職でたっぷり貯金をしたから今の仕事ができているんだろう」とか「ソーシャルビジネスをする余裕のあるやつは親が金持ちで自分の給料なんて考えなくてもいいからできるんだ」という(ある意味本当っぽいけど僻みがあるのか穿った)見方をする人も多いようですね。

また「地方の過疎化や農業の衰退、ホームレスやひとり親、増え続ける医療費や年金の問題、非正規雇用の増加など日本にも社会課題が沢山あるのに海外の貧困にアプローチするなんて」という声もあるようです。

私の前職の肩書を額面通りみて想像の範囲で解釈されてしまうのは何も今回に限ったことではありません。だから、それに対しどうこう言うつもりはないのですが、せっかく「安定よりもやりがい」であったり「社会起業」がホットトピックになっているので、この辺について考えを少し掘り下げて考えてみようと思います。

尚、一応誤解を解いておくと、このブログをご覧いただいている方の中にはご存知の方もいらっしゃると思いますが、私は金融を辞めた時点で貯金は300万もなかったし、親は金持ちどころかひとり親でした。大学や大学院に行ったのも全て奨学金で自分で賄ったので、卒業して就職しても毎月奨学金の返済をしていました。別に蓄えがあったから社会に役に立つ起業に踏み切れたわけではありませんでした。

極論してしまえば、なにも別に「自分」があえて金融を辞めてインドネシアの山奥でカカオの発酵をしなくたってよかったんです。別に私はカカオの発酵の専門家でもないし、金があり余っているわけでもないし、インドネシアが好きで好きでそこに住みたいと思っていたわけでもないのですから。でも私はやりました。

きっと、TVで一緒に取り上げられていたもう1社の社長さんも、そして今世の中で社会課題に対する解決策を模索しながら活動している起業家やNPOの発起人も同じだと思います。別に「自分」がやらなくても良かった。寧ろ自分が「その問題を解決できる」なんて思って起業した人なんているのでしょうか?

みんな、たまたま厳しい現実を目の当たりにしたんだと思います。それが障がい者の雇用であれ、東北大震災後の問題であれ、過疎地域の衰退であれ、その現実を見てみぬふりをして過ごすこともできたはずです。見過ごす理由なんていっぱいある。「自分は結婚していて家族を養わなければならない」、「自分には助けるためのお金がない」、「自分の生活でいっぱいいっぱいだ」、「自分には何をしたらいいのか分からない」、「仕事で忙しいから時間的余裕がない」etc.

でも、社会課題を解決しようと挑戦している人はその問題から目を背けませんでした。みんな金もコネもない。見て見ぬふりもできた。実際に世の中の大多数の人が見て見ぬふりをしているんだから。でも彼らは言い訳をしませんでした。金がない、時間がない、解決策なんて分からない、それでもそれらのことを「やらない」言い訳にしなかったのです。

それなのに、何のアクションも起こさない「言い訳して問題を見て見ぬふりをした人」が「勇気を出して言い訳せずにアクションを起こした人」を批判する。それはすごくおかしいと思います。

何もみんながみんな、今の仕事を辞めて社会の問題に取り組むべきと言っているわけではありません。そうではなくて、勇気を出して課題に取り組もうとしている人、取り組んでいる人に対し、それを批判するのは間違っていると言いたいのです。そんな批判は全く建設的な要素がないので、社会にとって百害あって一利なしです。

「日本にも貧困を含め沢山の問題があるのに、なぜ海外の貧困や海外の課題に目を向けるのですか?」
私はこの質問もよく受けます。この質問をする人の大多数は、問題が沢山ある日本にいるにもかかわらず、何もアクションを起こしていない人です。私は昨年、社会イノベーター公志園というプログラムに参加した。そこでは、日本全国、下は20代前半から上は70代まで、社会問題に取り組む多くの挑戦者に出会いました。

彼ら・彼女らが取り組んでいる課題は、国内のものもあれば私のように海外のものもあります。でも、どの課題が重要だとか、この人はどの課題に取り組むべきだ、なんて話は一切しません。みんなどの問題も重要で、自分が専門家でもなんでもないけれど、もし自分がやらなければその問題は誰が解決するのか、という危機感を抱いているからです。

今回、私がこのブログを書いた理由は、「自分はプレーしないくせに外野がゴタゴタ言うな!」ということではありません。問題の本質、それは社会課題に挑戦する人・そこにやりがいを求め挑戦する人と、「どの企業も社会的に意義があるから社会起業というのは妄言だ」と議論をすり替えたり、大多数の人は自分の飯を食うので精いっぱいで社会起業家なんて貯蓄が十分ある人がやっているだけだと思っている人では根本的に何が違うのか、それについて自分なりに考えてみたいと思ったからです。

これについて、ここ2~3日考えたのですが、結論から言うと、その違いとは「リスク」のとらえ方であると考えました。

社会の課題を、それが国内であれ海外であれ、また課題の種類が何であれ、その課題を見過ごさない人の共通点、いわば昨今の流行の言葉でいえば「社会起業家」と呼ばれるような人たちが共通してもっているのは、「問題を見て見ぬふりをすること」「問題の存在を知ったのに何も行動を起こさずやり過ごす」ことは危険だという『リスク』観だと思います。

対して、一般の人は「その社会問題にエキスパートでもない素人の自分が足を突っ込む、もっといえば仕事を辞めてそれに取り組む」ことこそ『リスク』だとみなします。

前者と後者の違い、分かりますでしょうか?

「自分が何もしないで、ネガティブな現実が続いていくこと」をリスクとして捉えるか、はたまた「自分が何かすることで、自分が今あるものを失うこと」をリスクとして捉えるか。

前者は社会にとってのリスクを自身のリスクとして認識しています。一方で後者は自身のリスクのみをリスクとして認識しているのです。言い換えれば視点が「マクロ」か「ミクロ」かと言えるかもしれません。

ちょっと想像してみてください。今、みんなオーケストラを座って観覧しているとします。席に座っているけれど、もちろん立てば舞台がより良く見えます。自分だけのことを考えたら、「立って見る」のがベストです。だからあなたは立ちました。するとあなたの後ろに座ってた人は見えずらくなくなります。そしてこの人も立ちました。やがてその場にいた全員が立ちます。座っていては見えなくなってしまったからです。

「立つ」という行為は個人の満足度を高める上ではベストな選択肢でした。しかし、全員が立つと、結局座っていた時よりもかえって誰もが見にくくなってしまいました。個人のベストな選択肢(合理的な選択肢)を社会の多くの人がとることで、逆にそれが非合理な状況を生む状況、まさに経済学で言うところの「合成の誤謬(ごびゅう)」さながらです。

社会課題は自分が当事者でない限り、この合成の誤謬を生みやすい。自分は関わらないほうが楽なのだけど、みんながそうして関わらないと、問題は解決しないでしょう。

話をダリケーの文脈に置いてみます。途上国のカカオ農家はカカオを栽培しても、自分の作ったカカオからチョコを作ったこともなければ食べたこともない。カカオの価格は遥か遠くのロンドンとニューヨークで投資家によって決まり、自分がどれだけ丹精込めてカカオを栽培しても、その買取価格は、まさにその時の「運」頼み。頑張っても報われないどころか、真面目に頑張った農家が馬鹿をみる現実。

誰もがこれを「不条理」と思うことでしょう。そして誰もがこれを「この状況が改善すればいいな。そうでないと農家もかわいそう」と思うでしょう。でも誰かアクションを起こしますか?起こさないですよ。誰かアクションを起こしてたら、この問題は解決に向かっていたはずなのだから。

誰もアクションを起こさなかった。みんなチョコが好きと言いながら、日常的にスーパーやコンビニで買って食べているのに、でも誰もアクションを起こさなかったじゃないですか。

もちろん、こんな現状があるとは知らなかった人がほとんどだと思います。私も知りませんでした。たまたま韓国のカフェでインドネシアでカカオが採れることを知って、たまたまネットで調べたらガーナと並びインドネシアは世界でも有数のカカオ生産国なのを知って、たまたま好奇心が強いから実際に現地に行ったら、カカオが採れるにもかかわらずインドネシアのカカオ農家の多くは仕事のやりがいを感じていないことを知った。そんな偶然が重なりあわなければ、私はこの問題が存在することさえ気づきませんでした。

だからほとんどの人がカカオの生産者の現実を知らなかったのは無理もないことです。でも、農業の問題や過疎化の問題、障がい者雇用の問題、ホームレスの問題、出産後の母体の産後ケアの問題、病気の患者の問題、環境問題に伝統文化荒廃の問題、日本に沢山の問題があるのに、自分の仕事を投げ打ってまでその問題に向き合っているでしょうか?

社会起業家がもてはやされるとか、それがトレンドとか言われているようですが、何もしない外野がそういうことを言う世の中。もてはやされるより、一緒に活動してくれる人がいたり、少しでも寄付をして活動資金をもらったり、そういう方がどれだけ彼らにとって助かることか。

Dari Kを始めて5年。私が一番言われたくないこと、それは「Dari Kのチョコはフェアトレードだから高い」ということです。このブログを以前からご覧いただいている方はお分かりの通り、Dari Kがカカオ豆を高く農家から買い取っているのは、現地のカカオ農家がかわいそうだからそうしているわけではありません。頑張って発酵させて、美味しい高品質なものを作っているから高く買い取っているのです。

「頑張って良い品質のものを作れば高く買ってもらえる!ニューヨークやロンドンの市況に関わらず、自分がしっかり働けばその努力が認められる!」

そんな風に農家に思ってほしくてこれまでやってきました。素材のカカオが良いから、そして手間暇かけて作るから、出来たチョコレートは美味しくなる。それだけこだわって美味しくなったから、今の価格で出させていただいているわけです。そしてこの農家とDari Kの合作であるチョコが本当に美味しいんだと言いたいけれど、残念ながら私もダリケー社員の誰も、世界的に有名なショコラティエでもないし、チョコの本場のフランスやベルギー修業していたわけでもないし、有名な三ツ星ホテルや著名なシェフに付いて修業してきたわけでもありません。だからいくら「このチョコは美味しいんです!」と言っても、食べてもらえばわかってもらえますが、食べてもらうまでが非常に大変。

Dari Kのチョコが美味しいと分かってもらうためにはどうすればよいか?それは、フランス・パリの世界最大のチョコレートの展示会「サロン・デュ・ショコラ」に出展することだと考えました。日本でも数人のトップショコラティエしか出ていない大舞台。当時設立から4年しか経っておらず、質が良くないからと高級チョコレートの舞台に上がってこなかったインドネシア産カカオのみを使ったチョコレートブランドDari K.そんなDari Kがこの展示会に出展することができれば、きっと世の中の見る目は変わる。インドネシアのカカオの評価も変わる!

そうして農家と一致団結して高品質なカカオ豆作りに従事。昨年、その夢叶って、サロン・デュ・ショコラに初出展することができました。おそらく歴史上はじめて、インドネシア産カカオの実を使ったチョコブランドが世界のトップショコラティエとパリの大舞台で並んだと思います。品評会ではブロンズ・アワードまでいただいたのですが、これはインドネシアでの取り組みは関係なく、純粋に味の評価だけで世界の大舞台で評価されたので喜びもひとしおでした。

事情を知らない人は好き勝手なことを言うものです。事情を知らない人ほど、知ったかぶって色々言うものかもしれません。チョコレート屋と言っても、カカオ豆を扱うというのは非常に難しく、毎日国際相場をチェックしなくてはなりません。それに為替の変動にも一喜一憂します。思い返せば2011年12月・・・Dari K設立後はじめてのクリスマスであり、バレンタイン用のカカオを仕入れたときのカカオの相場は2200ドルでした。為替レートは1ドル約78円だったので、日本円で171,600円。

それから4年後、ついこの前の2015年12月のカカオの価格は3300ドル。為替は1ドル約122円だったので402,600円。つまりカカオ豆の価格はこの4年で2.3倍になっているんです。

だから昨年夏に、原料高と円安のダブルパンチで耐え切れなくなったチョコメーカー各社は値上げしたでしょう。でもカカオ農家の収入はこの4年で2.3倍になってないですよ。ではどうすべきか?農家が本当に望んでいることは何なのか?この不条理なシステムを変えるには一体何をどうすればよいのか?

これ以上は書きません。みんな頑張ってるんです。農家も。チョコメーカーも。Dari Kも。社会起業家も。メディアに取り上げられたって、取り上げられなくったって、みんな頑張ってる。

今我々に必要なのは、みんなが社会起業家になることではなくて、きっと色々な社会課題に挑戦している色々な人を応援することだと思います。劇場で立たずに、座って舞台に立っている演者の声を聴くこと。客席で立ったり叫んだりするのではなく、時には舞台の裏側で励ましたり、舞台の上で手伝うこと。またその舞台を用意すること。

Dari Kは多くの方の応援で成り立っています。その応援をDari Kの社員と同じくらい一番嬉しく感じているのは、カカオ農家であることを忘れないでください。

【動画】農家による人生初のチョコ作り

https://www.youtube.com/watch?v=_0zhUWf8lVs&ebc=ANyPxKpJqkIe8ozQd_lqvOhv8Jy5A_7ssnfpudWV6BUcSn09VxNX09HflFlD1d_sifg1SuOl2AvLDMC3uZOJKQ2KxBFQB6ztBg

【動画】農家の作ったカカオ豆がパリのサロン・デュ・ショコラへ

https://www.youtube.com/watch?v=wV21WsKX-80