新作 │ 発酵にこだわるチョコレートトリュフ

dari K to the World
ブログ

2015年のテーマ

 

前回ブログを書いたのが2014年の7月。
いくら更新しない期間があってもせいぜい1~2ヶ月だったのに、今回は半年くらい開いてしまいました。

 

まあこのブログ自体は、私の考えてることを書き綴るものであるので義務的に何か書かなくてはいけないということもなく、その時に思ったことや考えていることを書くだけなのでいいのですが、お客さんや友人からブログ楽しみにしてると言われることも少なくないので、今年はもう少し頻繁にアップできればと思います。

 

さて、新年1発目のブログなので、今年2015年の私のテーマを。
それは"Systematic Chaos "です。

 

思いつきの造語ですが、まさに今の頭の中はこれ。意味はと言うと、systematicというのは、システマティックなので、「系統だてて、段取りして、計画して、入念に準備した」というようなこと。Chaosはそのままカオス、つまり混沌とした状況ですね。

 

systematic chaosとは、どういったらよいのか(何せ思いつきの造語なので)、しっかりいろいろ考えた上で「カオス」を作り出す、とでもいいましょうか。

 

通常はカオスにならないために、ぐちゃぐちゃにならないように、整理してシステマティックに動くのですが(systematicとchaoticはそもそも対義語)そうではなく、カオスをつくるためにいろいろ段取りしていく、というイメージです。

 

段取りしてできる「カオス」と、何も分からずその場が「カオス」であることは全く違います。一生懸命汗水たらして得る1万円と、くじでたまたま当たった1万円は同じ1万円(客観的価値)ですが、当の本人にとっての価値(主観的価値)は異なるでしょう。

それと同じです。

 

ではなぜあえて「カオス」を自ら作りにいくのか?それは「カオス」が持つエネルギー、より正確には、あの混沌とした不確実性に満ちた状況から生まれる一筋の光があるとすれば、それは大きくて鋭い矢のようなエネルギーがあると思うからです。

 

澄み切ったきれいな水にとんでもない怪物はいないけど、濁った水には何がいるか分からない。何もいないかもしれないし、

いるのかもしれない。不透明で、深さも広さも分からない、でもだからこそ何がでてくるのか、何が潜んでいるのかも分からない。ただただ否定しきれぬ可能性がそこにはあるのです。

 

チョコレート屋さんとしてのDari Kにカオスは必要ありません。でも、チョコレートにとどまらない、それはフェアトレードとか

そういう次元ではなく、もっと深く、もっと広く、カカオではあるけどカカオにとどまらず、それを作るヒトや、それを育む環境も含め、いちど今ある秩序を計画的に無秩序にすること。

 

あえて濁らせて、そこからひとひらの光をつかむこと。それを模索する1年にしたいと思います。

 

抽象的で分かりづらいかもしれないけれど、systematic chaosは日に日に出来上がっていくことでしょう。もしそこから光が出るとしたら、それはきっと潜在性をまとった大きな力となって出てくるはずです。「夜明け前が一番暗い」といわれるように、明るさが見え始める前にはとても暗くなるものです。明るい真昼にLEDつけても、その明るさは活きません。真っ暗だから、輝くのです。

 

辛い時・しんどい時に、自分に正直になって無理をしない生き方もあります。でも、僕は、あくまで個人の主観ですが、それはこの上なくもったいないことだと思います。他の人が休んでいる時は、自分が他の人と差をつけるチャンスです。99%の人は、他の人が休んでいる時に働くとなった場合に、どうして自分だけ働かなきゃならないの?と言うでしょう。でもはっきり言って、そんな人にかまってはいられない。

 

苦労は買ってでもする。やることがある喜び、求められる喜び、それを知らずに生きていくことは私がもっとも恐れることです。先のことはあとで考えればいい。いつ何が起こるかわからない世の中。明日大地震が来るかもしれないし、来月金融危機がまた起こるかもしれない。そんな世の中でも、絶対不変なのは時間には限りがあるということ。そして可能性は、あなたの、私の、ポテンシャルは無限であるということ。

 

日本はぬるい。甘すぎます。国にも人にもストイックさがなさすぎると思っています。やるといったらぶっ倒れるまでやる。ああだのこうだの、できない理由を並べて生きてる人が多すぎると思う。言い訳大国ニッポン。法律で決まっているから、これが規則だから。そんな社会が成長するはずがない。時代遅れの法律は変えるべき。規則が邪魔をするなら、その規則は撤廃すればいい。

 

いつ何が起こるかわからない世の中だからこそ、頭と身体をフルに使って、そのポテンシャルを、自分のポテンシャルを自分の目で確かめたい。結局大したことないかもしれない。でも、死ぬ間際に、あるいは走りきった最後に、自分はたいしたことなかったとわかったら、それはそれで素敵なことだと思う。「こんなにやったけど、びくともしなかったよな」そう言って、同志と酒でも酌み交わしたい。上司がああだこうだとか、会社がああだこうだとか、政治家がどうだとか、そんな愚痴を言って飲む酒よりも、出来ることをやり尽くして後悔のない精神と身体で、どっかのビーチにでもいって、あるいは温泉にでもつかりながら、昔話に花でも咲かせたい。

 

人生なんて思い通りにならなくて当たり前。僕が世界を変えるなんてできっこないですよ。70億人も住んでるこの世界を、1人の人間が変えるなんて無理。それでも、あえてDari Kは「カカオを通して世界を変える」を企業理念として抱えているのは、僕一人ではできないけど、生産農家と、うちの社員とお客さんとサポーターの力を合わせたら、世界は変わっちゃうかもしれないから。実際ここ数年で変わってきたし!

 

先の先は読めない、だけど、いやだからこそ、今足元にあることを、ただひたすらやりぬきたいと思う。systematicに。あえてchaosにするけど。光を見つけるために。2015年、Dari Kの展開をお楽しみに!

 

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2014年1月にインドネシアで出会ったブラジル在住の土壌研究専門家(左)とDari Kカカオ研究所(京大桂ベンチャープラザ)紹介パネル前にて。