新型コロナウィルスと合成の誤謬(ごびゅう)

| 2020.3.10

私は大学で経済学を専攻していた。そんな学生時代、学業に励んだかと言われれば恥ずかしいことに全くそうではなかった。一般教養科目という名のもとに、なぜ授業料を払ってまで興味ないものを学ばなくてはならないのだろうと単位を取るためだけの授業に嫌気がさしていたし、経済学部なのに経済理論は私の興味をそそらず、効用曲線とかカーブが出てくると教授がお絵描きしているようにしか見えなかった。

もっとも、自分が関心あるテーマに関しては、それが単位の関係ない他学部の授業でもこっそり受けていたし、大学院に進学してからは基本的に自分の研究テーマを掘り下げることしかしないから、大変だっけどすごく充実していたのを覚えている。

経済学部なのに経済の理論に全く興味がなかった学生時代を振り返って、唯一とても面白いと思った概念がある。それがこのエントリーのタイトルである「合成の誤謬(ごびゅう)」という考えだ。字からしてもう人に理解をしてもらいたくないような経済用語だが、言っていることは至極シンプルで、「一人ひとりが合理的なことしても、それが社会全体でみると合理的にならないばかりか、非合理な状態になることがあるよ」ということだ。より単純に言い換えれば、「合わさったら誤りが生じちゃう」ってこと。

たとえば、サッカーの試合を見に行ったとする。観覧席には椅子がある。でも椅子に座るよりも立ったほうが当然視野が広くなる。だから観客1人1人は座らずに立つことが合理的な行動になる。でもそれを全員がやったらどうだろう?前の方に背が高い人がいたら、後ろの方の人は全く見えないことになりかねない。全員座っていれば、かなりの程度ピッチが見えたのに、個人の合理的な判断で「立つ」結果、逆に見えない人が続出する。

別の例を挙げよう。景気が悪く、かつ少子高齢化で将来自分がもらえる年金額が少なくなるのが目に見えている日本では、みんな将来に不安を抱いている。そんなとき、どうするかというと、収入をすべて使い切ってしまうのではなく、当然将来に備えてなるべく多めに貯蓄する。それは各個人にとって至って合理的な判断であり、行動といえる。でも、すべての国民がみんな消費を控えて、貯蓄したらどうだろう?

消費をするということは、自分のお金は減ってしまうが、そのお金は企業に渡り、その企業の売上となり利益となり、そしてその企業で働く人の給与になる。自分の消費は誰かの給与になっているのだ。でも、みんなが消費を控えると、経済が回らなくなり、企業は収益を上げられずに、給与は下がってしまう。給与が下がると、ますます将来が心配な人たちは、消費を控える。つまり、経済の悪循環の引き金になってしまうのだ。

こんな風に、個人(ミクロ)の観点では合理的な考えや行動も、社会全体(マクロ)で見ると、合理的どころかその反対のことが起こってしまうことがある。これが合成の誤謬だ。←今書いていてもやっぱり面白い。

で、今新型コロナウィルスが猛威を振るっているが、まさに私が感じているのは、この「合成の誤謬」が生じているということ。各個人にとって、マスクを買うのは合理的だし、トイレットペーパーが足りなくなるというのは誤ったニュースだったけど、それを聞いてトイレットペーパーを買いだめするのに走るのは合理的な行動といえる。でも、その結果何が起こるか?たとえば、会社の指示により会社に出勤せず、在宅勤務になった場合、外出しないのにマスクが余る人がいる一方で、医療現場やタクシーの運転手など、人との接触が多くマスクが相対的により必要な人がマスクを入手できない人が出てきたりする。

あるいは、3か月分のトイレットペーパーを確保できた人がいる一方で、今週にはもうトイレットペーパーがなくなる家が出てくるかもしれない。マスクやトイレットペーパーを買った人からしたら、いち早く情報を入手して、将来のことを考えてすぐに薬局に並んで、しかも無料で入手したわけではなくちゃんとお金払って買ったわけで、それは何ら責められるべきではない。本人の時間とお金を使ったわけで、それはフェアなものである。

他方、相対的には他の人以上にマスクやトイレットペーパーが必要なのに、今日・明日のマスクやトイレットペーパーがなくて困ってる人からしたら、それは怠けていて買わなかったわけではなく、あるいはお金を払いたくないから買わなかったわけではなく、たまたま売り切れてしまっていて買えなかったというのが現実だ。これはフェアと言えるのだろうか?

実は、これって「富」に関しての考えも同じだと思う。

自分が死んでも余りあるお金を持つ人がいる一方で、今日の食べ物に困っている人もいる。今お金を持ってる人は、たいていは自分で頑張って稼いだわけだから(そうじゃないラッキーな人もいるかもだけど)、困っている人に自分のお金を分けてあげる義務ってないよね。

でも一方で、今日食べ物に困ってる人は確かに存在していて、中には怠けて働きたくないから働かずにお金がない人もいないとは言い切れないけど、たいていは仕事したいけど仕事に就けなかったり、あるいは今はやりの気候変動や台風、地震などの天災、あるいは健康上の理由で働けなくてお金がない人もいる。

マスクを家に余らせている人は、マスク無くて困っている人にあげて(無料ではなくても)ほしいと思うし、お金が余っている人は、お金がなくて困っている人に(無料ではなくても仕事を作って労働を通して)あげてもらえたら、この世界は随分変わると思う。

「合成の誤謬」は世の中の多くの局面で生じる可能性がある。ロジカルに考えるのは重要だけど、そこにハートがないと、世の中めちゃくちゃになっちゃう。合成の誤謬を生じさせないためには、物事を俯瞰して見れる視野の広さと、他人を思いやるハートが必要だと感じる今日この頃でした。