Dari K(ダリケー)

Dari K to the World
ブログ

伝えるということ

今日は自分の考えの整理目的でですが、「伝える」ということに関して書きたいと思います。

 

「伝える」とは、知らないことを知らせることであり、
ということは知っている人と知らない人がいることが前提になります。
(お互い知っている場合もありますが、それは結果論であり
お互い知っていると事前に分かっているならば、伝える必要はなくなるはず)

 

たとえば、あなたが知っていることで私が知らないことはいっぱいあります。
あなたが生まれた場所について、私はどんなところか全然知らないと思います。
あなたの行った小学校も、中学も、きっと分からない。あなたが
経験した良いことも苦い思い出も、私は知りません。

 

逆に自分が知っていることでも、他人は知らないことは沢山あります。

たとえば僕はDari Kを経営しているので、Dari Kのことは誰よりも知っています。

 

でも、自分はダリケーの魅力が仮に100あって、それを全部知っていても、
発信力や説明不足によりその価値がフルに伝わらないことはよくあります。

 

たとえばダリケーを説明する時に、
「カカオの生産者から直接カカオ豆を買い取り、チョコの製造・販売まで一貫してやっています」
というのは、当然間違いではないです。

 

でも、これはダリケーの魅力のほんの一部であるし、そもそも魅力を伝えているかと
いわれれば甚だ疑問です。

 

「一貫してやるから、何がどうなるの)?」というところまでを説明しないと、
本当のよさや取り組みに対して評価してもらえません。

 

たとえば、一貫してやることで・・・
⇒商品面では、こういうチョコになるんです(市販のチョコとはこことここが違うんです)

⇒フェアトレードの面ではこういう効果があります(価格を上乗せして(でも生産物の質は低いまま)生産者の所得をあげるのではなく、技術指導を通して発酵などによるカカオそのものの付加価値を向上させている、だから豆も高品質になるし、ダリケー以外に豆を売っても付加価値がついているので評価される)

⇒食の安全安心という面では、こういう効果があります(誰がいつ収穫したかトレーサビリティが万全です)

というように、一歩掘り下げて説明しないと、普通に聞いていても響かないし、届かない。

せっかく100の魅力があっても、「伝える」ことをおろそかにすると、本当にもったいないことになる。

 

言わないのが美徳。価値は分かる人が分かればいい。そういう考えもあるでしょう、
それは価値観の問題なので否定はしません。

でも普通は、それではもったいない。せっかく頑張ってやっているんだから
出口の「伝える」ということをしっかりしなきゃアカンと思うのです。

 

テストのために100勉強して100覚えたのに、答案用紙に10しか書かなかったら、10点しかもらえません。

50しか覚えてなくても、50書ければ50点もらえます。自分は勉強して理解しても、「理解しましたよ」
と伝えるテストで、きちんと伝えられなければ、結局他の人からは「コイツわかってないやん」と
思われてしまう。

 

努力しても、最後の最後(伝えるということ)がおろそかになると本当にもったいないのです。

だからこそ、プレゼンや発表、テストでもそうだし、あるいはもっとカジュアルに、
ちょっとした会話でも、「伝える」ということをもう一度見直すことが必要だと最近痛切に思うのでした。